09. カウンセラーの座禅体験記(その7)

坐禅会に、参加しましてきました。(2003年09月14日) 

老師の話

人は色々なものを吟味したがる。 例えば、体と心。もともと一つのものなのに、体と心に分けて考える。 吟味するから、考えが生まれ、思想や哲学が生まれる。 そして、この世の中は、もともと一つのもの。 別に、吟味しなくても良いのではないか。 「私は私である。そして、私はあなたではない。」 それを信じられませんか? それで良いじゃありませんか・・・。

トリビアのコーナー : 如来(仏)と菩薩

如来(仏): 悟りに達した人
菩薩 : 悟りを目指して修行をしている人
《見分け方》 菩薩は未練があるので王冠や腕輪などの装飾品を身につけているが、如来(仏)は装飾品はつけていない。 《補足》   文殊菩薩 : 獅子に乗っている   普賢菩薩 : 象に乗っている

独参

私  : 公案などである「大悟した」とは、十牛図のどの段階で起こるのか?
老師 : 途中でおこる。そして、悟った後が長い
私 : 座禅は、生死のうち、「生」のことを言っているのか?
老師 : そうだ。あちらから帰ってきた人はいないので、あちらのことは分からない。
このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサード リンク

関連コンテンツ