13. カウンセラーの座禅体験記(その11)

坐禅会に、参加しましてきました。(2004年03月14日)

老師の話

我見

自分自身の考えのことを『我見』という。 哲学や思想の基礎はこれを土台として組み立てられる。 「座禅とは何か?」の問いに「私は○○○○○○と思う。」と答えるが、私は「思わなくていいんじゃないですか・・・」「分からなくてもいいんじゃないですか・・・」と言ってやりたい。 そこが思想や宗教と座禅が違うところである。 『我見』、それを手放すと自分じゃなくなる、最後に抵抗するところ。

役に立つ

「役に立つ」とは、何かの価値観に対して役に立つかどうかということを言っている。 つまり、価値にこだわってるということ。 しかし、本当は、「役に立つ」ものではなく、「なんでもない」もの。 役に立ったら儲けもの。 座禅の世界では、「役に立たない」は、最高の褒め言葉である。

原田老師の話

發心寺で原田雪慧老師が言っていた話を思い出した。   草取りをしているときに、元老師がやってきて問うた。   「何をしているのですか?」   答えることができなかった。 「草取り」は自分がしていることの一面に過ぎないということが分かっていたということ。 (草取りをしていたし、元老師の言葉を聞いていたし、どう答えようか考えていたし・・・・・・)

独参

私  : 私には、あなたが悟っているかどうか分からない。
老師 : 話をしている中で、それを感じてもらうしかない
私  : 私が悟っているかどうかは、わかるのか?
老師 : 逆は、分かる。
私  : 独参で何をすればいいのか?
老師 : 「本当の自分とは何か?」の答えを持ってきなさい
このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサード リンク

関連コンテンツ