14. カウンセラーの座禅体験記(その12)

攝心・坐禅会に、参加しましてきました。(2004年04月10,11日) ※攝心のタイムスケジュールは、「座禅体験記06」を参考にしてください  

老師の話

仏教について

釈迦は実存した「ただの人間」である。釈迦が伝えようとした事こそ、とても大切なことである。 それは、とても難しくて分かりにくい。 しかし、そこに仏教の本質がある。 仏教のことを言わずに、釈迦を崇めたてまつるのは、自分が仏教の本質が分からないという言い訳をしているに過ぎない。  

禅が求めるもの

釈迦は、「生老病死」(なぜ、人は生まれ、老い、病気になり、死ぬのか)の答えを求めて出家した。 人はなぜ悩むのか。 そこにあるのは「所有」である。 人は、財産を所有し、知識を所有し・・・・・・そして、自分自身を所有している。 禅では、「所有している自分自身とは一体何なのだろう?」という問いを投げかけている。 そして、座禅の目的は手に入れることではなく、それを手放すことにある。  

犬になる?

『「言葉によって作られた意味から離れなさい」というが、例えば「犬になれ」ということを言っているのか?』と聞かれたが、そうではない。 もし犬が独参に来たらこう言うだろう、「言葉を覚えて、自己を語れるようになってから来なさい」  

葛藤

「葛藤」は仏教用語で、複雑に絡み合う様子を表している。 それでよい。 解決を出すのではなく、葛藤をそのまま出しなさい。

独参

私  : ヒントが欲しい
老師 : ヒントといっても、答えはあなたの中にあるのだから、ヒントの出しようがない。
私  : 「本来の自己は?」と問われても、私は本来の自己
老師 : それでは、あなたは何をしてるのか?
私 : 悟っているか確認してほしい
老師 : 私は、あなたが悟っていないと言っていない。それは、あなた自身が言っていること。
私 : ・・・・・
老師 : 私がすることは、客観ではなく主観を話しているかどうかを確認するだけ
私 : ・・・・

トリビアのコーナー : 仏式の結婚式がある

お経は? : 般若心経くらいは挙げる 葬式だけではないの? : 葬式ばかりでは、寂しいから、結婚式もやりだしたのではないか・・・
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