対面カウンセリングと電話カウンセリング どっちがいいの?
心理カウンセリングは、もともとは、カウンセリングルームにおいて対面形式で行うものでした。
しかし、最近は、電話・テレビ電話(スカイプなど)・電子メール・チャット・LINEなど通信手段の多様化とともに、それらを利用したカウンセリングが行われています。
ここで、どのような形式のカウンセリングにするか迷うことになります。
根本的なことなのですが、日本では「心の苦しさは、自分で解決するしかない。だから、人と話をしても何も解決しない。強い心になるしかない。」といった思い込みが強く、心理カウンセリングの効果に対する疑いが、未解決のままになっていることも、カウンセリングを利用することに対して迷いを生じさせてしまいます。
例えば、「自転車がパンクしたときは、自転車屋さんで修理してもらわなければ、誰かに話しただけではパンクは直らない」と思うのと似た感覚だろと思います。
そこで、精神科や心療内科の病院に行くことが選択肢として浮かび上がりますが、病院に行くことも、心の弱さを認めることになってしまい、「強い心になる」という目標とは真逆の対処になってしまうため、踏み出しにくいところがあります。
そんな迷いの中で適切な選択を考える上で、参考にして頂けそうな内容を説明していきます。
長くなりますが、最後までお読み頂ければ幸いです。
まず、知って頂きたいこと
「心への日頃の取り組み」とカウンセリングのイメージの関係
「心の問題を解決しなければならない(問題がある心を、問題のない心にしなければならない)」と思い込んでいると、「カウンセリングを受けても、どうせ、自分の悪いところを正常にするためのアドバイスをされるだけだ」と感じてしまいます。
そうすると、自分が自分自身をより良く変化させようと、常日頃から様々な努力をし続けているところがあります。
そのような人は、「より良い自分に変わること」をカウンセリングの目標としてしまうので、これまでずっと努力して分かりきっていることをアドバイスされたり、これまでの自分の努力を評価されたりするだろうと考えてしまって、カウンセリングに価値を感じることが出来ないのは当然のことだと思います。
また、カウンセラーに、より良い自分に変えてもらうことを期待している場合は、自分を変えるためのアドバイスがないと不満に思い、自分を変えるためのアドバイスがあると、そうではない今の自分を意識してしまい辛い気持ちになってしまいます。
自分を変えようと努力している場合も、自分を変えてもらおうとする場合も、カウンセリングを活用しようとする時の目的は「今のダメな自分を、価値ある自分に変える」ということでは同じといえます。
しかし、心の苦しさは、自分がダメだから抱えてしまうのではありません。
自分は変わらなくても大丈夫なのです。
ならば、「自分は変わらなければならない」と考えてしまうところを「自分は変わらなくても良い」と考えるように、思考を変えれば良いのかと考えてしまい易いところがあります。
しかし、それも違います。
心理カウンセリングの目的は、自分を「ダメな存在」から「OKな存在」へと変えることではありません。
心の苦しさを解決するための前提条件
前の説明では、心の問題と向き合うときの条件として、
(1) 自分を変えなくても良い
(2) 自分の考え方を変えなくても良い
という2つを示しました。
ここで、更に、次も前提条件として加えてみます。
(3) 過去と他人を変えることは出来ない
さて、この3つの前提条件のもと、何にどう取り組めば良いか分かりますか?
恐らく、行き詰まってしまうのではないでしょうか。
私たちは、何らかの問題に直面したときには、原因を取り除いて問題を解決しようとしたり、理想の状態を実現することによって問題を解決しようとしたりします。
原因があるから結果があるという考え方です。
でも、そのような思考に頼っていると、この3つの前提を前にすると、対処方法を考えることが出来なくなってしまいます。
偽解決
人は、解決方法が見つからないと、もともとの苦しさに加えて、「解決できない」と絶望することによる苦しさも抱えてしまうことになります。
このような絶望状態(希望を持ちたいのに希望を持てない状態)に陥るよりは、解決するかもしれないと思って、何かに取り組んでいる方が心の苦しさはマシです。
そこで、(1)~(3)のいずれかを前提から除外して、除外したものの中に原因を見つけ出し、それを変化させることを解決のための目標としてしまうのです。
解決への目標が見つかれば「これを解決すれば苦しさから解放される」という希望を持つことができ、絶望状態に陥らなくて済みます。
(余談ですが、過去の体験に心の苦しさの原因と思えることが見つかれば、「これが原因だったら変えられないのだから、今のままでも仕方ない」とあきらめることによって、やはり絶望状態に陥らなくて済みます。)
この解決に関する道筋を手放してしまう(「これは解決につながらない」と認めてしまう)と、解決のために取り組むべきことのない絶望状態に陥ってしまうことになります。
ですから、解決のために取り組み始めたことを容易には止めることはできなくなります。
このような解決は、心理の専門用語で「偽解決」と呼ばれています。
また、その解決を実現してしまうと解決のために取り組むべきことがなくなってしまいます。
しかし、多くの場合、心の苦しさは残ったままとなるので、解決のために取り組むべきことのない絶望状態に陥ってしまいます。
ですから、いったん見つけた解決のための目標は、実現が困難である方が都合が良いという側面を持っています。
これが、コンプレックスを持つ人が、いつまでもコンプレックスを抱え続ける理由です。
では、(1)~(3)を前提として、どのように心の苦しさと取り組めば良いのでしょうか?
それをサポートするのが、心理カウンセリングの役割だと考えています。
次に、カウンセリングの目的をご説明します。
次の説明をお読み頂ければ、メールカウンセリング、電話カウンセリング、心理カウンセリングなどのうち、どれが、今の自分に合っているかを考えるヒントになると思います。
心理カウンセリングの目的
心は他人に映し出される
「あの人は、人によって態度が変わる」と感じることがあると思います。
これは、「人によって態度を変えるのは、その人の性格に問題がある」というように、他人を非難する意味で使われることが多いように思います。
さて、本当にその人の性格に問題があるのでしょうか?
それは、違います。
それは、その人にとっての重要な体験が、対象となる事象に映し出され、映し出されたそれに反応してしまうことによって起こります。
つまり、意思によって態度を変えているのではなく、人によって異なる自分の反応に無自覚なまま振り回されてしまっているということです。
何に反応するか(表情や顔つき、性別、年齢など)は、その人が積み重ねてきた体験によって異なります。
つまり、人によって態度が変わる人は、過去に、「普通の自分で居れば、ひどい目に合わされた」という体験の積み重ねがあり、ひどい目に合わされないように反応してしまって、普通の自分では居られなくなっていると想像出来るのです。
映し出されることの例をいくつか挙げておきます。
【例】対象
人ではありませんが、犬恐怖症について説明します。
例えば、小さい頃に犬に噛まれる体験をした人は、犬の気配を感じると嫌な気持ちが生じ、実際に目の前に犬が現れると恐怖を感じます。
しかし、犬の性質は各個体によって異なります。
噛む犬もいるかもしれませんが、人懐こくて決して噛まない犬もたくさん存在するというのが事実です。
ここで重要なことは、犬の存在や犬の気配がないところでは、犬に対する嫌な気持ちや恐怖は生じていないということです。
つまり、「犬」という存在によって、自分に記憶されている感覚が、目の前の犬や気配によってイメージした犬に映し出されているということです。
【例】しぐさ
例えば、目の前の人が手を上に挙げたとき、頭を叩かれてばかり居た人は身構えますが、撫でられてばかり居た人は頭を相手に差し出すことでしょう。
【例】言葉
関西の人は「バカ」と言われると腹を立て、関東の人は「アホ」と言われると腹を立てるといいます。
これは、次のように理解できます。
- 関西の人は「あほ」という言葉に、何の悪意もないことを経験から身にしみて理解していますが「バカ」は文字通りの意味でとらえてしまう
- 逆に、関東の人は「バカ」という言葉に何の悪意もないことを理解していますが「アホ」は文字通りの意味でとらえてしまう
このように、同じ言葉でも、人によって映し出される意味は異なるのです。
【例】自分の感情
「つらい」という感情を例に説明します。
「つらい」というのは、人にとって当然の感情です。
例えば、つらくて泣いたら「おまえが悪い」と責められる体験を繰り返したとします。
すると、つらくなると、その「つらい」という感情に対して「つらくなると怒られる」という体験が映し出されてしまうようになります。
そして、つらく感じただけで自分を責めて、もともとのつらい気持ちよりも更につらい気持ちにしてしまうようになってしまいます。
逆に、つらさがバレて相手から責められないように、つらいにも関わらず、ニヤニヤと笑ってしまったり、つらさを感じないフリをしてしまうこともあります。
「嬉しい」という感情の例も少し説明します。
嬉しいときに、それを馬鹿にされることを繰り返し体験すると、嬉しいことがあっても、「嬉しい」という感情に「嬉しくなると馬鹿にされる」という体験が映し出されて、嬉しいことを隠そうとしたり、「こんなこと嬉しくない」と本気で考えるようになります。
【例】場面
例えば、コップをひっくり返して水をこぼしたときに、ひどく怒られる体験を繰り返すと、コップをひっくり返しただけなのに、「ひどく怒られる」という体験が映し出されて、ひどく辛い気持ちになります。
これらは、それぞれの人にとって対象となる事柄に、自動的に映し出され、そして反応してしまうため、「頭で分かっているのに、実際の行動を変えることができない」という状態に陥ってしまいます。
カウンセリングの目的
カウンセリングの目的は、犬の例で説明すると、
決して噛まない子犬と長く過ごすことによって、犬に対して映し出されるものを「犬は噛む」という感覚から「犬はほとんど噛むことはない」という感覚へと置き換えること
ということができます。
つまり、過去の体験によって映し出される相手の反応(相手から返ってくると思われる自分にとって嫌な反応)とは違う相手の反応があることを知り、そして、その反応を繰り返し体験することによって、映し出されるイメージを置き換えていくのです。
本を読んだり、動画を見たりすることは、知識を深めてはくれますが、体験をさせてくれることはありません。
そのためには、自分の何かを映し出してくれる人、そして、安心な反応を返してくれる相手が必要になり、そして、そんな相手とのコミュニケーションの体験が重要となります。
犬が居ないときに犬を怖がらないのと同じように、人の存在を感じなければ、人に映し出してしまっている何かに気づくこともできませんし、それから解放されるような体験を積み重ねることもできないのです。
どの形式を選ぶべきか?
前置きが長くなりました。
さて、メールカウンセリング、電話カウンセリング、対面カウンセリングの、どの形式を選べば良いと思いますか?
その時々の心理状態にもよると思いますので、一概には言えないところがありますが、私が考えることを説明します。
文字によるカウンセリング
まず、メールやLINE、掲示板などの文字によるカウンセリングですが、カウンセリングの入り口としては良いかもしれませんが、長く続けるのはあまりお勧めできません。
理由は、
- それぞれの言葉(文字)が持つ意味が人によって異なる可能性がある
- 人の存在をあまり感じることができないので、自分が人に対して映し出すものによって生じる感覚やその感覚によって引き起こされる反応に対する働きかけはほとんど期待できない。
その結果、考え方や考えた内容に関する議論に陥り易いところがあります。
そのような考え方や解決策に関することなら、わざわざメールカウンセリングなどしなくても、きっとインターネット上の情報や書籍などから既に情報として得ていることだと思います。
ですから、メールカウンセリングに意味を見いだせなくなり、続けられなくなる可能性が高いです。
また、対話形式のカウンセリングと比べれば、チャット形式でなければ返事が来るまでには大きなタイムラグが発生します。
このタイムラグによって、言葉で話せば、自分の思いとは違うことが伝わったと感じたら、その場で訂正することができますが、その場で訂正することはできませんから、相手の文章を読み間違えて嫌な気持ちになってしまった場合、その部分に関する気持ちはこじれたまま放置することになります。
更に、文章が、相手にどのように受けとめられたかを、表情や口調などから感じ取ることもできませんから、こじれた気持ちを抑えてやりとりしているということにも気づくことが困難です。
普通に話していれば何ともないことでも、LINEだと話がややこしくなりやすいのも、そんな理由だと思います。
更に更に、返事が来たときには、相談内容を送った時とは、心境が変化して、せっかくの返答がピンと来ないこともあるでしょう。
もっとも重要なことは、コミュニケーションの体験としては弱すぎるということです。
対面カウンセリングと電話カウンセリング
電話カウンセリング
電話カウンセリングは、視覚による刺激によって相手に映し出してしまうことに対処することが難しいと考えられます。
また、対面式のカウンセリングに比べれば、現実の人と接しているという感覚が、少し薄いところがあるかもしれません。
ですから、例えば、「子供の頃に、悲しくて泣くと、怒られる」という体験を繰り返した人が、自分の心に生じる「悲しくて泣くことを妨げる力」は弱くなって悲しい気持ちを話しやすくなる反面、「悲しいといっても怒られなかった」という体験も弱いものになる可能性があります。
しかし、受話器を通して耳元で相手の声が聞こえるので、素直な気持ちになりやすいところは大きなメリットです。
ハンズフリー状態で電話するよりは、受話器を耳に当てるか、ヘッドセット等をして話する方が良いだろうと考えています。
テレビ電話
お互いの顔が見えるスカイプやテレビ電話を用いたカウンセリングは、相手の顔を見ることができるので、対面カウンセリングに近いと思うかもしれません。
でも、お互いが向き合う「対決の構図」となってしまうため、「互いの間を行き交う言葉」や「それらの言葉が形成するイメージ」を二人で一緒にしみじみと眺めようとするカウンセリングには、あまり向いていないと思っています。
相手の言葉は自分に向けて投げかけられるため、追い詰められるような心境になりやすいところがありますので、そうならないように対決の構造を弱める工夫が必要です。
対面カウンセリング
対面でのカウンセリングと電話カウンセリングとは、視覚による刺激の有無の違い以外は、それほど、大きな違いはないと思います。
ただ、同じ空間にいることによって、できることが増えてきます。
ホワイトボードなどに文字を書いて説明することができたり、カウンセリングルームによっては、箱庭療法、エンプティ・チェアという技法、催眠療法などができるようになります。
一番のメリットは、カウンセリング自体が、人と関わる体験となるため、積み重ねられる体験の性質が変わるため、自分の体験に基づいて他人に映し出されるものも変化していくというところです。
また、カウンセリングルームまで出向くことは煩わしいことかもしれませんが、電話カウンセリングよりも「解決に向けてカウンセリングを活用している」と思えやすいところもあります。
自分が何かに取り組んでいると思えることは、前向きな気分になることを手伝ってくれるところがあります。
まとめ
最後に、私が考えるお勧めの順位を書いておきます。
対面カウンセリング ≧ 電話カウンセリング >> 文字によるカウンセリング
参考にして頂けることを祈っています。