トラウマは、克服する?治す?
『トラウマ 』 という言葉は、最近、日常の会話の中でも耳にするほど、一般的な言葉になったところがあります。
ただ、もともとの意味とは、少し違ってきているところがあるように思います。
Wikipediaには、トラウマについて次のように説明が記載されています。
心的外傷(しんてきがいしょう、英語: psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。対処法については、「心的外傷#治療」を参照。
心的外傷が突如として記憶によみがえり、フラッシュバックするなど特定の症状を呈し、持続的に著しい苦痛を伴えば、急性ストレス障害であり、一部は1か月以上の持続によって、心的外傷後ストレス障害(英語: Post Traumatic Stress Disorder、略称:PTSD)ともなりえる。
心的外傷となるような体験を、外傷体験(英:traumatic experience)という。
【説明】
典型的な心的外傷の原因は、身に危険を感じるような出来事である。例えば、児童虐待(幼児虐待)や性虐待を含む虐待、強姦、戦争、犯罪や事故、いじめ、暴力、アカハラ、パワハラ、セクハラ、モラハラを含む出来事、実の親によるDV、大規模な自然災害などである。
心的外傷が突如として記憶によみがえりフラッシュバックするなど、特定の症状を呈して持続的に著しい苦痛を伴えば急性ストレス障害であり、一部は1か月以上の持続によって心的外傷後ストレス障害 (PTSD) ともなりえる。
症例の目安としては、成人であっても幼児返り現象が見られることがある。これは精神の仕組みとして想定されている防衛機制における退行であり、耐え難い困難に直面していると解釈される。時に夜驚症の反応を交えるため、対応には慎重さが要求される。軽度の場合は、ヒステリー状態が短発的に継続して(間を置いて寄せ返す波のように)発生するのが平均の状態ではあるが、社会生活を営むうえで若干の弊害となるため、専門的治療が必要な場合もありうる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7
最近のトラウマという言葉の使い方
このような説明になるのですが、最近、よく耳にするトラウマの意味は、つらい気持ちになった体験のことをいっていることが多い感じがします。
ですから、「トラウマを克服する」とか「トラウマを乗り越える」というように、「その出来事に対処できるようになること」を目標とするように使われ方をするのだと思います。
心的外傷としてのトラウマは、恐らく、恐怖症に陥っている状態だと考えます。
恐怖症の状態に陥ってしまうと、きっかけとなった行動や出来事を克服しようとしたり乗り越えようとするのは逆効果で、したりすればするほど、恐怖症的な反応を高めてしまいます。
ですから、克服とか乗り越えるとかいう意識ではなく、「トラウマを治す」、「トラウマを癒やす」というように考えた方が安全です。
つらい気持ちへの対処できない『つらさ恐怖症』
恐怖症を抱える人にはある共通点があります。
それは、『つらい気持ちへの対処』です。
心に苦しさを抱えている人は、次の私の言葉に、きっと、拒否反応が生じてしまうと思います。
もし、つらい気持ちになってしまっても、直ぐに、つらい気持ちを癒やしてくれる人と関わると、比較的簡単に楽な気持ちを取り戻すことができます。
つらい気持ちが直ぐになくなるなら、私も苦労しませんよ。
なかなか楽な気持ちに戻らないから、困っているんじゃないですか…
心の問題は、自分の問題だから、他人がどうにもできないじゃないか。
たから、心の問題は、自分で解決するしかないんだよ。
私の言ったことは真実なのですが、それが信じてもらえないんです。
もし、私の言ったことが本当だと仮定したら、次のようなことが期待できます。
もし、そうだったら、失敗を恐れずに、いろんなことにチャレンジできそうな気がするわ
そうなんですよ
ところが、つらい気持ちになったときに、なかなか楽な気持ちに回復することが出来ないと、つらい気持ちを感じている期間は長引いてしまいます。
誰もが想像できると思いますが、一人きりでつらい気持ちにただ耐えることほど、苦しいことはありません。
つらくなる度に、ひとりつらさに耐えてやり過ごしていると…
「つらくなってしまうと、長い間、ひとり孤独に、つらさに耐えて過ごさなければならなくなる」って思っちゃう…。
だから、つらい気持ちにならないようにしなければならないと思っちゃう…。
「つらくならないように、成功しなければならないといけない」って思っちゃう…。
そんなこと考えていたら、やりたいことなのにできなくなっちゃう…。
恐怖症って、具体的な対象があるのですが、実際は、つらさ恐怖症といえるんです。
『つらさ恐怖症』の根本原因
トラウマのベース
子供の頃の家庭での癒やし体験
トラウマの原因を整理してもらえませんか?
つらい体験をトラウマにしてしまうのは、次の2つです。
- ダメージを受けても、気持ちは簡単に回復すること知らない
- ダメージを受けた気持ちを回復させる方法を知らない
なせ、知らないのかというと、『つらい気持ちになった体験の後に、人との関わりの中で、つらい気持ちが回復する体験ができなかった』からです。
体験できなかったのは、私に問題があったからなのでしょうか?
自分ひとりではできません。
相手が必要です。
具体的には、子供の頃に、親に『つらい気持ちが直ぐに楽になる体験』をさせてもらえなかったということです。
そうなんですね。
ところで、気持ちを楽にしてもらえる体験をさせてもらえなかったってどういうこと?
簡単に言うと、「泣いている時に、親や近くの大人に抱き上げてもらえなかった」ということです。
たった、それだけのことなんですか?
そうなんです。
たった、それだけのことで、子供の生きる世界が、つらい気持ちが救われる世界とつらくなったら救いのない世界に分かれてしまうんです。
「子供が泣くことをわがままだと解釈するしつけ」 の副産物ということができます。
しつけが子供の心に根付かせるトラウマの根本原因
親や大人がしつけだと思っていても、子供の心にトラウマを残してしまうことは多くあります。
親や大人が、某かの価値観にこだわって子供を従わせようとしているときは、子供がつらくて泣いているのに、「わがままを言っている」と解釈して、放っておいたり、逆に、感情を高ぶらせて、更に激しく怒鳴りつけてしまいがちです。
子供は、「あんな親にはなりたくない」、「あんな大人にはなりたくない」、「自分の子供にはあんなことはしない」と誓って大人になり、親になります。
でも、「つらくて泣いているのに抱き上げてもらえなかったのがつらかった」ということは意識することは、ほとんどありません。
逆に、「つらくて泣きたくなったら、ひとりでつらい気持ちを我慢しなければならない」といったことを受け入れてしまっているところがあります。
この「つらくて泣きたくなったら、ひとりで我慢しなければならなかった」という体験は、ある意味トラウマということが出来ます。
でも、一般的にトラウマとして意識するのは、「泣かされるきっかけとなった体験」、「つらいきもちになった体験」の方で、「抱き上げられなかった」ということは意識できません。
例えば、「コップのジュースをひっくり返して怒られた」というとき、怒られることや怒られて泣いたら抱き上げられずに放置されることを同然のこととして受け入れてしまい、コップのジュースをひっくり返すことに恐怖を覚えるようになりがちです。
ですから、 子供は、「あんな親にはなりたくない」、「あんな大人にはなりたくない」、「自分の子供にはあんなことはしない」と誓うのです。
でも、「つらくて泣いても抱き上げられなかった」ということは意識できません。
「つらくなったら、つらさが薄れていくまで、ただ我慢するしかない」と信じ、そして、「つらくなっても簡単に楽な気持ちを取り戻すことができる」ということを知らずに生きていくようになってしまいます。
そして、自分が親になって子供ができたとき、次のような状態に陥ってしまいます。
- 子供のために、「あんな親にはなりたくない」、「あんな大人にはなりたくない」、「自分の子供にはあんなことはしない」と我慢をしてストレスを蓄積させてしまう
- 子供のために我慢していることに対して、子供がありがたがらないことに不満を募らせてしまう
- 子供に感情的になってしまい子供を泣かせてしまったときには、自分の親と同じように、泣く子供を放置してしまう
意識できない「抱き上げられなかった」という体験が、つらい気持ちを回復させないように、人生を通して働き続け、更に、世代を越えて伝わっていくのです。
家庭でのトラウマからの回復
子供の頃体験できなかったら取り返しがつかないですか?
大丈夫です、安心してください。
大丈夫なんですか!?
今からでも、一度だけでも、誰かに気持ちを受けとめてもらいながら、スッキリした気持ちになるまでしっかりと泣くことが出来れば、心を楽にする方法を取り戻せます。
手遅れじゃないんですね
「カウンセリングで問題を解決する」なんて難しいことを考えずに、「泣いてスッキリするためにカウンセリングを活用する」と考えて、一度、しっかりと泣いてみませんか?
今まで、難しく考えすぎていたんですね
そうなんですよ。
心のことは、克服したり乗り越えたりする必要はありません。
つらい気持ちを回復させる方法を実践できるようになるだけで良いのです。