心を楽にするために振り返る子育て

カウンセリングを受けるべきか?

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何かに悩んでいたり、心の苦しみを抱えていたりすると、「カウンセリングを受けるべきだろうか?」と考えることがあるかも知れません。

私はカウンセリングを受けるべきなのかな?

この疑問の背景には、「カウンセリングは心を病んだ人が受けるもの」という漠然とした感覚があるのではないかと思っています。

ですから、「カウンセリングを受けるべきか?」という問いは、「自分の心は病んでいるのか?」という疑問の別の表現であることがあります。

私は、心を病んでいるのだろうか?

この先を考えることによって答えを求めようとすると、「心が病んでいるとはどういうことか?」という疑問に対する答えも必要になってきます。

  • だから、私の心は病んでいない
  • やっぱり、私の心は病んでいるのかもしれない

でも、色々考えて答えが出たとしても、苦しい気持ちは楽にはなりません

そうそう

そして、また、カウンセリングに行くべきか、病院に行くべきか考えてしまうんです。

『心の病気』った言われたくないですものね

そうそう、そうなんです、病気って言われるのが嫌なんですよ

「心のことは自分で解決するしかない」って思っちゃうんですね。

補足

「カウンセリングを受けるべきか?」、「自分の心は病んでいるのか?」、 「心が病んでいるとはどういうことか?」という思考の連鎖によって、もともと感じている「心が苦しい感覚」や「心を不自由にする感覚」から解放されたいという気持ちから離れて、「心とは何か?」、「生きる意味とは何か?」などというような哲学的な思考にはまり込んで、考えれば考えるほど、哲学的な思考に伴うストレスまで付け加わって、ますます苦しくなってしまいます。

ですから、「カウンセリングを受けるべきか?」ではなく、「心を楽にするためにカウンセリングは活用できるか?」と考える方が良いと思います。

「心を楽にするためにカウンセリングは活用できるか?」と考えると、カウンセリングを受けているときに、「カウンセリングの度につらい気持ちになるのに、カウンセリングをやめずに続けている」ということにはならないと思います。

カウンセリングは、つらい気持ちになるものなんだわ

我慢して、このつらさを乗り越えないと

「カウンセリングは心の病気に対するもの」と考えてしまうから、「苦くても薬を飲まなければならない」と似た感覚で「つらくてもカウンセリングを続けなければならない」と思ってしまうのです。

「カウンセリングがつらい」と思っているとき、つらい気持ちを隠している可能性があります。

「万が一、話をすることによってつらい気持ちになってしまっても、つらい気持ちのまま突き放されるのではなく、そのつらい気持ちに寄り添ってもらえる」と信じられる 相談者の方とカウンセラーとの関係性を保ち続けることがカウンセリングだと考えています。

今の話を聞いて、つらい気持ちになってしまいました

つらい気持ちにさせちゃってごめんなさい

あれ、普通に謝ったりしてくれるんだ

なんだか気持ちが軽くなったわ

もし、カウンセリングがつらいことをカウンセラーに伝えても、気持ちが楽になるような関わりがなかったら、そのカウンセリングは合っていない可能性があります。

カウンセリングは、気持ちを楽にするために活用するものなんです。

心の病気かどうかは問題ではないんです。

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